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【アラベスク】  第3章 盲目Knight



第2節 西からの風 [4]




 美鶴が返答に窮しているのは明らかだ。それでもなお答えを待つなんて、遊ばれているとしか思えない。
 だが瑠駆真の視線からは、茶化(ちゃか)している様子も、面白がっている雰囲気も伺えない。
 いや わからない
 以前、美鶴の部屋に瑠駆真が二晩続けて泊まったことがある。
「大丈夫 下着も買ってきたし」
 その言葉に狼狽(うろた)える美鶴を見て、瑠駆真はおもしろそうに笑った。

 だがあの時は、私が勝手に誤解しただけで―――
 ………………
 なっ 何に誤解したって言うんだっ

 ……………………

 うがーっ! イライラするっ!

 もはや泳がせた視線を教科書へ戻すこともできず、彷徨(さまよ)わせるように横へ向ける。
 そうして、目を止めた。
「アンタに英語なんて教えてたら、あんな(やから)が増える」
 美鶴が顎で示す先。
 出入り口のガラス越しに、女子生徒が一人で立っている。視線は、美鶴に負けず劣らず剣呑だ。
 その首元で、ガーネットがこれ見よがしに光を放つ。
 思わず口元を吊り上げてしまった。

 確か、”柘榴石(ざくろいし)倶楽部(くらぶ)”とか言っただろうか? 瑠駆真を慕う者の集まりだ。単なる”ファンクラブ”では、もはや満足できないらしい。
 彼女らの間では、柘榴石=ガーネットを身に付けるのが(たしな)みとなっている。柘榴石は、瑠駆真の誕生石だ。
 ちなみに、”柘榴石倶楽部”に対抗でもしているのだろうか。聡派では”コラーユ de ルベリエ”なるものが立ち上がっている。
 コラーユ(corail)=珊瑚。言わずもがな、聡の誕生石。そしてルベリエ(le Belier)=おひつじ座。※
 当然、彼女らは珊瑚を好んで身につけるらしい。
 なぜフランス語なのかと言うと、どうやら立ち上げの中心人物的三年生が、フランスからの帰国子女なのだとか違うとか……

 でもさぁ このフランス語っておかしくないか? そもそも前置詞のdeの後に定冠詞のleが来た場合は短縮されてduになるはずだ。
 以前本屋で手に取った、受験用のフランス語参考書の中身が、あいまいに思い出される。唐渓では外国語は英語しか選択肢がないが、フランス語やドイツ語を取り入れている学校もある。
 いや、duは確か部分冠詞だったか? あっ いや、それは所詮は発音上の問題なのだろうか? 記述する場合はやはりこれで良いのかも?
 ……………
 バッ バカバカしいっ!!
 なんだって私がおフランスの言葉なんぞに頭を悩ませなきゃならないんだっ! 試験や受験には必要ないだろっ 英語だっ! 英語っ!
 だが、十代半ばの女子高校生らが、こうも簡単にガーネットやら珊瑚を手に入れる現状を目の当たりにすると、無視しようにも不快感が募る。
 宝石の値など見当もつかないが、まさか安物の模造品(イミテーション)でもなかろう。
 もっとも、本物と偽物の違いなど、美鶴には区別もできないのだが――――
 美鶴など、一生手にすることもできないかもしれないモノ。
 瑠駆真は女子生徒へ振り向き、困ったように瞳を細めた。そうして、広げた教科書たちをそのままに立ち上がる。
 外へ出て行き、女子生徒と話す姿がなんとも目障り。関わり合いたくなくて視線を逸らすと、ふと瑠駆真のノートに目がいった。

 綺麗な筆記体。

 父親を外国人に持つハーフで、この四月に転入してくるまではアメリカで過ごしていた。
 英語が苦手とは言っても、美鶴よりよっぽど慣れているはずだ。
 教えることなんて………
 嫌味のつもりだろうか?
 そう考えると、怒りのようなものがフツフツと湧き上がる。
 点が取れないと言っていた。だが実際には、瑠駆真がどれほどの実力なのか、美鶴は知らない。
 四月の校内模試の結果だって、順位表を見たワケではない。だから、瑠駆真の正確な順位を知っているワケではない。
 総合で上位に来ていたはずだから、英語だってそこそこの点は取っているはずだ。ひょっとしたら、一位は美鶴で二位は瑠駆真だったのかもしれない。
 サラサラと流れるような斜体が、穏やかな瑠駆真の性格を現しているかのよう。
 穏便で、物腰柔らかで、何でもズバズバと言ってのける聡とは違う。
 ……………
 美鶴は思わず瞳を閉じた。
 何でもすぐ口にする聡と違う。違い過ぎて、何を考えているのか――― わからない。

「僕は君ほど恵まれてはいない」
「君は、僕よりも彼の方をより信頼しているよね?」

 嫉妬のこもった、(ひが)んだような声。

「美鶴?」
 呼ばれると同時に手の甲がヒンヤリとし、思わず引っ込める。
「なに?」
 大きな瞳をさらに大きくして見下ろしてくる。
「なに…… って?」
 状況を把握できず軽く混乱したまま、逆に問い返す。戸惑いの視線を返されて、瑠駆真は首を傾げた。
「僕のノートが、どうかした?」
 冷たさを感じて引っ込めた手。いつの間にか、瑠駆真のノートに乗せていた。流れるような筆記体を見ながら、いつの間にか指でなぞっていたのだ。
 そのノートの上に、今は瑠駆真の指がある。声をかけ、美鶴の手にそっと重ねた、冷たい掌。
「なんでもないっ」
 気恥ずかしさを感じ、隠すように声音を尖らせる。
 そんな美鶴の態度に怪訝そうな視線を投げながら、瑠駆真は再び向かいに腰を下ろした。



※【le Belier】の記述は、本当はBの後のeの上に ’ が必要ですが、フランス語を上手く表示させることができないので、このような記述としました。



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